Artist's commentary
しちゃったねシーザリオ
「今日のトレーニングはここまでにしておこう。しっかりとクールダウンしておくように」
「……本日もご指導ありがとうございました」
汗を垂らしながらも背筋を正しながらこちらに礼をするシーザリオ。自分はトレーニングに使用した器具を片付けた後トレーナー室に荷物を取りに戻る。
「あれ?」
室内の電気を付けた時、テーブルの上に見慣れない物が置かれている。
「これ、この前の撮影のか」
それはシーザリオを模したハンドパペットだった。30cmくらいあるため存在感がある。トレーニング前にはなかったので彼女が忘れていったものだろう。自分は人形の下部、袋状になっている所に手を入れる。口部分に指先がくるのでパクパクと動かす。細部まで作りこまれた人形はデフォルメされてもシーザリオだと分かる造詣だった。
「しかし、良く出来てるよなぁ」
「はい、私もそう思います」
気が付けばドアの前に彼女が立っていた。
「あれ?まだ帰ってなかったの?」
「忘れ物をしてしまったため戻ってきました」
そう言って彼女は指を揃えた手で自分が手に付けているハンドパペットを指差す。
「ああこれか。はいどうぞ」
「ありがとうございます」
手から外したハンドパペットを受け取った彼女は背筋を正して礼をする。
「それじゃあまた明日ね」
自分は荷物を取るために自分の机の方に行く。バッグにノートなどを入れた後、前を向く。そこにはシーザリオの顔がドアップに映っていた。正確にはハンドパペットのシーザリオの顔が目の前にいた。
「トレーナーは明日お暇ですか?」
ハンドパペットの口がパクパクと動く。
「シーザリオ?」
ハンドパペットを動かす彼女の方を見る。その表情は『OFF』の時のものだった。
「明日、お暇でしたらトレーナーの家でお菓子作りしたいな~って思ってるんです」
口調も柔らかで先ほどまでの彼女と別人のように感じる。『ON・OFF』の切り替えが激しいのは今まで彼女と接してきたので把握しているが、まだ驚いてしまう。
「ま、まあ暇だけど……お菓子作り?」
「はい、この前の撮影で火が点いちゃったというか。今とてもお菓子が作りたいんですよね」
小さなシーザリオがパタパタと手を動かしながら目の前で楽しそうに動く。
「いいよ。何か用意しておくものってある?」
「トレーナーは何も。こちらで全て用意するので」
それはこちらとしたらとても楽だ。部屋を片付けて待っているくらいで良さそうだ。
「それではトレーナー。また明日です」
そう言いながらハンドパペットのシーザリオが小さく手を振りながら、彼女は部屋を出ていった。
「……なんやかんや、明日は楽しくなりそうだな」
シンと静まり返った室内に一人残された自分はそんなことを呟きながらある事を思い出す。鞄を持ち、自分も部屋を出ていった。
翌日
朝早く起きて自宅の掃除をする。掃除機をかけたり換気をしたり洗濯物を畳む。そして台所周りは入念に手入れをする。
一通り掃除が終わった頃、チャイムが鳴る。テレビドアフォンの画面に青色の髪の娘が映る。玄関の扉を開ける。
「おはようございますトレーナー」
彼女は柔らかく微笑みながらこちらに挨拶をする。
「おはよう」
「早すぎましたか?」
「いや、そんなことないよ。どうぞ上がって」
「はーい。お邪魔しまーす」
彼女を招き入れ台所へと案内する。肩から提げていたトートバッグを台所に置くと中から材料を取り出していく。
「何か手伝うことはある?」
「いえ、特には。トレーナーはくつろいでいてください。あ、調理器具は使わせてもらいますね」と言いながらシンク周りの引き出しを開ける。
顎に手を当て少し考えた後、テキパキと器具を出しお菓子作りを始めていった。カチャカチャとクッキーの生地をかき混ぜる音が静かに聴こえてくる。手伝わなくて良いと言われてしまったので、この間にトレーニングメニューを考えることにした。リビングのテーブルにノートPCを置き仕事をする。
「トレーナーもう少しで出来ますよ」
仕事に集中していると意外と時間が経っていたようで、オーブンからトレーを出しながら彼女がこちらに話しかけてきた。
「ありがとう。良い匂いだね」
キッチンの方に向かうと綺麗に焼きあがったクッキーが見える。
「コーヒーでも淹れようか」
「ありがとうございます」
彼女の隣に立ちながらコーヒーの準備を始める。2つのカップにインスタントの粉を入れお湯を注ぐ。
「はい、トレーナーどうぞ」
彼女はクッキーの一つをつまみこちらに向ける。口元に向けられたので口を開け入れてもらう。咀嚼するとなめらかな舌触りとバターの風味が広がる。
「おいしいな」
「ありがとうございます」
彼女も一口かじるとうんと頷いている。
「いっぱい出来たのでたくさん召し上がってくださいね」
「ありがとう。じゃあ遠慮なく」
コーヒーをすすりながら彼女の作ってくれたクッキーを頂く。おいしいと言いながら食べていると彼女は静かに微笑みながらコーヒーを口にしていた。
「なんか、こういうの良いよな」
自分は思わずそんなことを呟く。
「えっ?」
「ああ、いや、こうやって誰かと一緒にお菓子作りしてコーヒー飲んでのんびりしているのって良いよな~って」
「トレーナーは誰かとお菓子作りしたことないんですか?」
「ん?ん~言われてみれば誰かと一緒にっていうのはなかったかも」
学生時代に一人でチャレンジしてみることはあっても誰か隣にいて作るなどはなかった。トレーナー業をしているとゆっくりしている時間がないのでなおさらだ。
「そうですか……」
彼女はそう呟きトートバッグを漁っている。
「そういえばトレーナー、口の横、カケラ付いてますよ」
「えっほんと?」
指摘されたので彼女の方を向きながら口元に手を持っていこうとした時、トンッと口に何か当たる。目の前には黒くて大きなつぶらな瞳と青い毛に混じった白い前髪。そして大きな口が閉じられた状態でこちらの口に押し当てられていた。いわゆるパペットキスをされたのだと気付くまでにそれほど時間はかからなかった。彼女は右手に人形をはめながらこちらを見る。
「シーザリオ?」
「ふふっ」
彼女は静かに微笑みながら人形の口も動かす。
「トレーナーの『はじめて』奪っちゃいましたね」
覗き込むように上目遣いをしながらこちらを見つめる。
「もしトレーナーが良かったら、また『して』あげますから言ってくださいね」
シーザリオの4つの瞳がこちらをまっすぐ捉えて離さなかった。
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全文(3376字)は小説で
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