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Artist's commentary
耶蘇(いえす)降誕祭
1901年末、玉造は去年帝都で「クリスマス商戦」なる催しが成功した事を参考に
関西でもクリスマスを年末商戦の目玉に据えようと目論んでいた。
政策を八房に任せきりにした反動で、落ち込んだ経済を回復させるための苦肉の策であった。
結果としては、この奇異な赤い帽子が女子供にウケただけで大失敗に終わる。
「耶蘇(いえす)降誕祭…異国の神を「祝おう」だなんて流石、殺生石のお狐様どすなぁ」
伏見稲荷に好き放題嫌味を言われる事になるのだが
年月をかけてクリスマスは「祝事」ではなく「行事」として定着する事となる。
玉造がまだ髪をピンクに染める以前──四尾の、モブ同然の土地神だった時代の話である。