Artist's commentary
守矢神社社報・早苗さんコラム3-1
*神饌(しんせん)について
神饌とは、神様にお供えするお食事のことをいいます。神様へのお供え物を総称して「幣帛(へいはく)」といいますが、広義では神饌も幣帛に入ります。狭義では、「帛」という字が示すように布、反物のことで、これは古代においては反物が貴重品であり、税金や給料もこれで納付支給されるなど、貨幣のような存在であったためです。古くは、幣帛にはそういった反物のほかに酒、食べ物、生きた動物、動物の角や皮、調度品、武器防具、農具など、様々なものがありました。「幣帛」は現在は「へいはく」と音読みしますが、古くは「みてくら」と呼んでおり、また「まひ」「まひなひ」とも言っていました。「まひなひ(まいない)」は現在では賄賂のような悪い意味で使われていますが、本来は単に祈願のための贈り物を意味していました。
祭りが始まって最初に捧げられる幣帛が、神様にお出しするおもてなしのお食事、神饌です。現在では一般的に生のものを捧げますが、これを「生饌(せいせん)」といいます。しかし伝統ある大きな神社では昔ながらに、火を通し調理した神饌を捧げています。これを「熟饌(じゅくせん)」といいます。古くは、自分たちの用意しうる限りの最高の食事を、前菜からデザートまでのフルコースで捧げていました。わが守矢神社には、狩猟文化の伝統を受け継ぎ、神前に鹿の頭や兎、猪の串刺し、鹿の脳と肉を和えた「脳和え」などの特殊神饌を奉るお祭りがあります。外では倫理衛生上長らくできなかったのですが、こちらに来てから復活しました。これは洩矢様が特に好まれます。ヘブン状態です。八坂様は「別に復活しなくても・・・フルコース料理のほうが・・・」と仰ってましたが、古儀ですから仕方がありません。他のお祭りはそうですから我慢してください。
写真は神饌所での脳和え調理風景です。とても生臭いんですけど、なんだか自分の深いところから湧きあがってくるような、血の騒ぎを感じます。
祭典の終了に先がけて神饌を神前からお下げしますが、神前での祭典が終わると、神饌を祭員・参列者の皆で分けて食する直会の儀となります。これにより、神人(当社では妖怪もですけど)共食によって氏子さんも神様の力を受けることになります。生のものは調理してお出ししますが、妖怪の中には脳和えを美味しそうに食べる方もいます。当社では、この儀には八坂様や洩矢様もいらっしゃって非常に盛り上がります。よほど度を越したことをしない限りは概ね無礼講な感じですので、人間の方も天狗さんや河童さんと一緒に騒げると思います。他の神社では決して体験できないひとときですね。
神饌でもっとも重視されるのは米で、それに次ぐのが、米から醸した酒です。これは古代日本が稲作を非常に重視していたためで、皇室もその祖先に穀霊神をもち、天上の稲を授けられて降臨し地上に広めた、という伝承を持っています。古代の祭祀は、五穀豊穣を祈る春の「祈年祭(としごひのまつり、きねんさい。)、収穫物を神様に捧げて感謝する秋の「新嘗祭(にいなめさい)」の二つの祭りを軸としており、現代にも受け継がれています。一般的には祈年祭は2月17日、新嘗祭は11月23日に行われています。また、夏には風雨の順調を祈る祭りが行われました。龍田大社の「風鎮祭」(昔は「風神祭」といいました)が有名でしょうか。各地の夏祭りも祇園祭を除けば風雨順調や蝗除けのためのものが多いと思います。昔は五穀が災害に弱く、人間も天変地異を防ぐ術を持たなかったため、五穀豊穣というよりも生きる為の切実な祈りが必要とされており、『日本書紀』以下の国史にも、毎年のように各地の神社や山川を祀って風雨順調を祈った記事が見えます。
米や酒に続き、祝詞の定型句に「海川山野(うみかわやまの)の種々(くさぐさ)の味物(ためつもの)」とあるように、自分たちが用意できる限りの食べ物を捧げます。もちろん、神様にウソはいけませんので、海川山野のものが揃っていないのに祝詞でそんなことを言ってはいけませんが。こちらでは海のものがなかなか手に入りませんので、「海川山野の」の句は使えないですね。博麗神社は外からの品物が定期的に入ってくるようで、うらやましいです。
(次回に続く)
その1→pixiv #8072285 »その2→pixiv #9958982 »
※長すぎるので分けました・・・