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Artist's commentary
Dirty Harry
ハイパー道楽 STORY TIME 第3回
原題 Dirty Harry
公開 1972年2月
製作 ワーナー
配給 松竹
上映時間 102分
製作国 アメリカ合衆国
言語 米語
原案 ハリー・ジュリアン・フィンク
監督 ドン・シーゲル
脚本 ハリー・ジュリアン・フィンク、ディーン・リーズナー
ジョン・ミリアス(クレジットなし)
撮影 ブルース・サーティース
音楽 ラロ・シフリン
製作 ドン・シーゲル
出演 クリント・イーストウッド、アンディ・ロビンソン、レニ・サントーニ
ダーティハリーはアクション映画の元祖のように言われる事も多いが、今観るとアクションというよりサスペンスとかミステリーといった趣の方が強い。
撃ち合いも昨今のどんだけ弾持ち歩いてんだというような撃ち合いではなく、弾は弾倉に入っている分だけ。
練り込まれた脚本と演出は昨今の絵面優先の映画とは違い、今も十分鑑賞に堪えられます。
2008年に発売されたダーティハリーコレクターズボックスの解説によると結構な紆余曲折のあった映画だったようである。
映画の企画はユニバーサルで始まり、主演の予定はクリント・イーストウッドだったもの1968年前後というイーストウッドがマカロニウエスタンブームで多忙を極めていた時期だった。
イーストウッドがオファーを断ったあと次にオファーを出されたのはポール・ニューマン。
皮肉にも自分よりクリント・イーストウッドとかの方がいいとオファーを断っている。
その後、脚本の権利がワーナーに移りハリー役はフランク・シナトラに決定。スコルピオはジェームズ・カーン。
「Dead Right」(死者の権利といった意味)というタイトルで監督はかのテレンス・マリック。
ハリー・J・フィンクの原案をマリックがリライトしているのだが、後年「天国の日々」や「シン・レッド・ライン」を撮った人とは思えないくらい超絶的につまらない話に改変されている。
どのくらいつまらないか知りたい人は脚本がKindleで発売されているのでそちらをご覧下さい。
もっとも今ならデビット・フィンチャーあたりが映画化しそうな内容ではある。
ところがマリック版「ダーティハリー」は宣伝用のスチールを撮影したところでシナトラは右手を怪我をしてしまい撮影は不可能に。
この時にジョン・ウェインに後釜のオファーが出されたようだが、ウェイン本人の弁によるとシナトラの代役は嫌だと断ったとの事。
ちなみにこの企画ではハリーは引退間際のニューヨーク市警の刑事と云う設定だった。
この辺の設定はロデリック・ソープの「Detective」という小説の設定によく似ていている。
ちなみにこの小説もシナトラ主演で映画化されている。
宙ぶらりんな企画になった時に脚本を見たスティーブ・マックイーンとロバート・ミッチャムが興味を示したらしいがギャラで折り合いがつかず話は流れ、めぐりめぐって再度イーストウッドにオファーが舞い込み、イーストウッドは条件に脚本を最初のものに戻す事や監督にドン・シーゲルを起用する事などを希望したがワーナーは全てOKを出しイーストウッドは引き受けたようだ。
脚本は舞台をニューヨークからシアトルに移し、内容も最初の企画時に近いものに戻され製作に入った。
この時にイーストウッドと共に脚本に関わったのが、ジョン・ミリアス。
かなりの部分を書いたのに脚本家としてクレジットされなかったかわいそうな人である。
ロケハンでシアトルは向いていないという事になり、舞台もサンフランシスコに変更された。
ハリーの拳銃をS&W M29に決めたのはミリアスで「Guns&Ammo」でジェフ・クーパーが絶賛していたのを読んで決めたそうである。
4インチモデルを使う予定だったが、ロサンジェルス中のガンショップを捜しても見つからずS&W社に脚本を見せて協力をあおいだら快諾してくれたものの6.5インチモデルをが送られてきてしまい止む得ずそれを使う事に。
しかも当のS&W社でも在庫がなく送られてきた3丁の内1丁はフレームサイズが同じだからとM57だったというありさま。
このバカデカイ銃を脇にぶら下げると身長190センチのイーストウッドといえジャケットの上から丸分かりになってしまう上、イーストウッドもコレで走るのは無理とダメ出し。イーストウッドは空のホルスターを身につけて演技している。
撮影で使われたM29は撮影後にS&W社からイーストウッドにプレゼントされ今でもイーストウッドが持っているとの事。
オークションに出たらエライ値段になりそうだ。
40年以上前の映画なので撮影に使われた場所もほとんど残っておらず、ラストの採掘場は今ではショッピングモールが立っている。
スコルピオの住んでいたスタジアムなどは最初から取り壊される予定で今は小さな市民スタジアムに立て替えられてます。
70年代はまだ階級や職業で服装が決まっていたというか決まり事みたいなものがあった時代でハリーのヘリボーンツイードのジャケットにウールパンツという出で立ちはあまり刑事らしい服装ではなかった。
サンフランシスコ市警の刑事デイビッド・トスキがモデルになった一人だがこの人は非常におしゃれな人だったようで服装もダークスーツが基本だった当時の刑事達の中、ツイードのジャケットや蝶ネクタイ姿で捜査にあたっていたのでそれを参考にしたようだ。
スコルピオの服装は当時、問題になりはじめたプアホワイトと呼ばれる都市部の低所得の白人層の服装。
ハイパー道楽ではブーツの靴ヒモの結び方の事しか書かなかったが、白いシューレースは白人優位主義を表し、これは今でもヨーロッパなどのネオナチが好んで着用している。
アメリカで公共の場でコレをやるとかなりヤバいので真似したりしない様に。
ちなみにネオナチの皆さんはDr.マーチンの12ホールブーツに白ヒモです。