Artist's commentary
翼国公秦叔宝
秦琼,字叔宝,齐州历城(今山东济南市)人
隋唐时期的风云人物,跟随李世民平定天下的絶世猛将,
有着【万军之中取上将首级】的勇武,据新《旧唐书》记载,秦琼每次随李世民征伐,敌阵中常有炫耀自己兵强马壮的武将,李世民就让秦琼前去,单枪匹马常将敌将斩杀于万众之中。
于贞观十二年(638年)病逝。
在贞观十七年(643年)被列入凌烟阁二十四功臣之一。
在民间更是和汉末名将关羽齐名的人物,并与同为猛将的尉迟恭并列为【门神】
はじめ隋の将軍の来護児の部将となった。のちに張須陀に従って李密を滎陽で討伐した。張須陀が李密に敗れて戦死すると、叔宝は残兵を率いて裴仁基の部下となり、裴仁基に従って李密に投降した。李密に重用されて、帳内驃騎に任ぜられた。李密が敗れた後、王世充に降り、龍驤大将軍に任ぜられた。619年、王世充の性格を嫌って、程知節らとともに唐に帰順し、秦王李世民の幕下に属した。馬軍総管となって尉遅敬徳と美良川で戦い功績を挙げた。秦王右三統軍となり、宋金剛を介休に敗走させ、上柱国に任ぜられた。王世充・竇建徳・劉黒闥らに対する征討でしばしば先鋒に立って敵陣を突破した。功績により翼国公に封ぜられた。玄武門の変の後、左武衛大将軍に任ぜられ、実封七百戸を受けた。638年に亡くなり徐州都督を追贈され、昭陵に陪葬された。太宗(李世民)はかれの人馬像を石に刻んで墓前に立てさせた。639年、胡国公に追封された。
-------摘自フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
这次想尝试着画一个(信长之野望)风格的武将,于是就有了这张,
实在是不简单啊~~~~~~~~~~~~~
特别是找素材,要是有唐代明光铠的实物就好了..........( ̄ε(# ̄)(想太多了,喂!)
为了还原玄甲军,首先选谁来画就犹豫了很久,最终还是决定画翼国公秦叔宝,
毕竟作为一个经历了隋末大乱当过官兵,又入过瓦岗,短暂跟过王世充,最终投奔李世民的人,
他最合适(乱世男主角的设定?!)
再加上玄甲军是以轻骑兵为主力的军团,他又是唐军的马军总管,加上迅速而又灵活的战法
使得他每次都能在战况胶着时刻,找到敌人的突破口给予对方致命一击,综上述如此,他
来做玄甲军的代表再适合不过了。
至于为什么要用信长之野望的风格来画.............当然是为了游戏里用啦!(因为大志要出了)