Artist's commentary
大和さんが沖縄に 【やや日刊桐沢96】
豊見城の公園にある海軍慰霊之塔のかたわらに立つ大和さんです。
「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」という電文が、陸軍ではなく海軍中将(戦死後に少将から中将へ昇進)から打電されたのはなんでなんだろうとなんとなく疑問に思って、ずっとそのままにしていました。
豊見城のとなり、小禄に海軍航空隊の飛行場があったからでした。昭和8年に沖縄県で初めての飛行場として海軍が作ったもので、いまは那覇空港と呼ばれています。
大田中将は戦艦比叡や戦艦扶桑に乗り組んだほか、戦艦山城で副長をつとめました。2・26事件では海軍陸戦隊の指揮官のひとりとして東京に向かったひとです。
アメリカ海兵隊第6師団に攻囲された小禄の海軍部隊は陸軍部隊との合流を断念、6月6日の訣別電報のあと10日に「益々柔軟ナル持久戦を以テ敵ニ大出血ヲ強要セントス」と打電しています。