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Artist's commentary
大正12年9月1日11時58分32秒【ばり日刊桐沢62/鎮守府】
神戸生まれの加賀さんは、あの震災がなければ魚雷の標的艦としておわるはずでした。大正関東地震はたくさんの人や組織、そして国の行き方を変えた出来事です。
このとき東京地区の電話および電信設備はすべて壊滅、交通も大混乱し東京と神奈川は一時的に巨大な孤島になっています。首都圏では海軍船橋送信所のみが震災後も機能を保持していました。そして指揮官だった大尉が発生当日の15時に独自の判断で地震の発生と被害状況を全海軍宛に打電しています。旅順近海にいた連合艦隊はこの電信で地震の発生を知りました。