Artist's commentary
追悼の空砲
我々り陸奥たか調査団は数日前から日本に向かうり陸奥たかの大群を監視していた。輸送船を攻撃したり、り陸奥たかを威嚇する巡視船が現れる危険性があるかもしれないからだ。その万が一に備えるべく、ラバウル基地からいくつかの艦隊を護衛として派遣した。そして6月8日、無事に彼らは日本に渡ることができた。だが最終的にどこへ向かうのかは分からなかった。だが団長だけは確信していた。「かれらが向かうのは柱島近海だ。間違いない。」そしてその予想は的中した。り陸奥たかの大群は日向灘を越え、豊後水道を通って瀬戸内海に入り、午前6時頃、柱島近海に集結した。柱島、いや、もはや西瀬戸内海を覆い尽くすほどのり陸奥たかが集まったのである。この光景に目を奪われていた頃、団長は「陸奥、長門、扶桑、最上、龍田、それから大淀を呉鎮守府から派遣してくれ。」と言った。どうしてかと聞くと、「あの日居合わせた仲間たちにも、この光景を見せてやりたいんだ。」と言った。なるほど。と私はため息をついて笑い、呉鎮守府に電報を送った。午前10時、我々は屋代島に船を停め、柱島が見えるところまで車で移動した。その5分ほど経った後にかつてあの場所に居合わせていた6人も車に乗ってやって来た。 これほどのどかな場所にこれだけのり陸奥たかが集まっているのだ。とにかくすごい光景だ。 だがこれだけ集まっているのに、り陸奥たかは1体も鳴かず、静まり返っている。り陸奥たかに動きがあるまで我々も静かにその様子を見守ることにした。そして12時、り陸奥たかが同時に鳴き声を上げた。瀬戸内海に響き渡るり陸奥たかの声、それは10分ほど続いた。そして12時10分、一番大きいり陸奥たかだけが大きな鳴き声を発したと同時に、空砲を斉射、それに呼応して柱島に集結したり陸奥たかも同時に空砲を斉射した。この美しく穏やかな海に響き渡る轟音、それはここで沈んだ陸奥を悼む空砲であった。陸奥はそのことを悟ったのか、涙を流した。長門はその陸奥を見ててそっと陸奥を抱擁し、慰めたのであった。我々はり陸奥たかに敬礼し、呉鎮守府から派遣した6人もまた敬礼をした。そしてり陸奥たかの群れは柱島付近を離れ、彼らが住むラバウルの海へと帰っていくのであった。私達もまた彼らの今後の生態を調査するため彼らの後を追いながら、ラバウル基地へと帰るのであった。
◆長々とすいません。というわけで今日は陸奥が爆沈してしまった日です。柱島には行ったことはないのですが屋代島(周防大島)にだけは何度か行ったことがありました。ですが陸奥が沈んだ場所がその近くにあったというのは今まで知りませんでした…陸奥記念館があったことも全く知りませんでしたね…近いうちに行こうと思います。